打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

エル・シド その10

レコンキスタ史上の勝利


(ムラービト軍来る)
1094年の春にバレンシアを攻略して有力諸侯に急成長したエル・シド。
この時点でイベリア半島の東岸では最有力な勢力に数えられていた事でしょう。
しかし一地方に覇を唱えるほどの軍事的成功は、同時に更なる強敵との対決をも意味していました。地図を見れば分かりますが、バレンシアは11世紀末のカトリック勢とイスラム勢の勢力ラインからはみ出して大きくイスラム圏内に食い込んだ、むしろ飛び地のように孤立した場所にあり、周辺全てが敵という危険な状態にありました。

しかもこの頃ムラービト朝はアンダルス南部のグラナダ・セビーリャなどのターイファ諸国を支配下に置いており、この年にはバレンシア南西のムルシア地方までムラービト軍に陥落していてバレンシアはもう目と鼻の先という情勢だったのです。

そして1094年秋、遂にムラービト朝の英傑ユースフ・イブン・ターシュフィーンは数万の大軍を編成し、甥のムハンマドに命じてロドリーゴを討つべくバレンシア地方に侵攻させます。
これに対してエル・シドはアラゴンとカスティーリャに援軍を要請しますが、アラゴン王は交代したばかりで動けず、カスティーリャ王もトレードの防衛と陥落したポルトガル方面の救援でエル・シドに救援を送る余裕はありませんでした。こうして単独でムラービトの大軍を迎えることになったバレンシア。市内では鉄器や青銅器が供出させられ、武器の生産が始まるなど急ごしらえながらも防衛の為の準備が必死の思いで始まっていました。


(クアルテの奇跡)
10月初頭、ムラービト軍はバレンシア南西に広がるクアルテの平原に集結します。
ここは現在のバレンシア空港に近い場所で、
当時のバレンシア市街の城壁までわずか1~2キロに過ぎませんでした。
このムラービトの大軍に対して、エル・シドは篭城を選択しなかったのです。
はるかに少ない軍勢でしかないのに打って出たのですね。
大軍に対する篭城は日本的に言うと後詰め、つまり味方の援軍が期待できるか、相手が長期戦で撤退する期待があるかが前提での戦術ですから、カスティーリャもアラゴンも、ましてや前年に戦っていたばかりのバルセロナ伯からも援軍が望めない状況では選択しようがなかったからとも言えます。

こうしてほとんど絶望的な状況で始まったバレンシア城外のクアルテにおける戦い、
10月14日からなんと10日間に渡ってエル・シド軍は持ちこたえたのでした。
戦場にはエル・シド自ら先頭に立ち、各所で行われていた小規模な戦闘のほとんどを回って部下達を励まし、その大声でムラービト軍の兵士を震え上がらせた、叙事詩と伝記はそうエル・シドの武勇を讃えた記述を残しています。

10月24日、この日のエル・シドは城外に出た当初から一計を案じます。
まず自分がいると見せかけた本隊を派手に出撃させて正面で戦わせる一方で、自分は小部隊を率いて裏側の門から市外に出てムラービト軍の側面の最も手薄な所から襲い掛かるという、典型的な陽動と迂回戦術を使ったのですね。
古典的ながら、この策の効果は絶大でした。
ムラービト軍は大混乱に陥り、総崩れとなります。
武器も食料も、妻子さえも捨てて逃げたムラービト軍を追撃したエル・シド軍は、
更に多くの捕虜と莫大な金銀・食料・武器・馬を奪って勝利したのでした。


エルシド図04
※1094年頃のイベリア半島
エル・シドの勢力がムラービト朝の北上を阻む位置にあるのが分かりますね。


(エル・シド伝説のはじまり)
このクアルテの戦いの効果は絶大なものがありました。
エル・シドがムラービト朝の大軍を破った知らせは瞬く間にイベリア半島全土に知れ渡り、ムラービト軍の攻勢に怯えていたカトリック教徒はもちろん、ひと息つけたサラゴサなど既存のイスラム勢力もその勝利に快哉を叫んだのでした。
そしてこの1094~95年にかけての公文書・証書類にはこう記されています。
『バレンシアに来たムラービトゥーンをロドリーゴ・ディーアスが破り、その軍の全てを捕虜とした年』 
公証人が正規の年代の代わりにそう記したほど、
エル・シドの名声は高まる事となったのですからその影響のほどが伺えます。

そして歴史上から見ても、ムラービト軍がイベリア半島でカトリック勢に敗れたのは実にこの戦いが初めてだったのです。何しろそれまでカスティーリャ王もポルトゥカーレ伯もムラービト軍の侵攻の前には成すすべなく破れ防戦一方だっただけに、一層劇的ですらありました。

もう少し広く見ると、西ヨーロッパでイスラム勢の侵攻を止めた決定的な会戦としては、732年のポワティエの戦いと、1212年のラス・ナバス・デ・トローサの戦い、この二つが恐らく最も影響が大きかったでしょう。しかしイベリア半島とレコンキスタ史に限って見たらこの1094年のクアルテの戦いもまたそれに近い印象を残したのでしょう。それも孤立無援の一騎士とその配下たちが成し遂げたという点で、この時点でエル・シドがレコンキスタの伝説的英雄になり、その生涯が叙事詩になるだけのものはあったのですね。

またこの時点でバレンシアが史実より8年早く落ちていたら、英傑ユースフが生きているうちにイベリア半島南部は完全にムラービト朝に制圧されていたかも知れませんでした。そうなるとイスラム圏はおろかカトリック勢のいた北部と東部まで危険だった可能性すらあり、1120年代にカスティーリャ・アラゴン・バルセロナが反撃に出るまでにイベリア半島のレコンキスタの歴史は変わっていたかも知れません。それだけに単独でムラービト軍を破ったエル・シドの勝利は、史実からも人々の記憶からも大きな影響を与えたのでした。



ただ、敗北したとはいえムラービト朝は依然として大きな勢力を誇っていました。
早くも2年後の1096年にはバレンシア地方に再度その姿が見えるようになるなど、
エル・シドとバレンシアを巡る情勢は予断を許さなかったのでした。



おしまい。

FC2ランキング02
 
↑押してってね~。

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/03/29(日) 16:39:08|
  2. エル・シド
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<今年の集計結果で思うこと | ホーム | エル・シド その9>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/769-cb8ec43c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
372位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
13位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。