打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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エル・シド その11

不敗の英雄


当初の予定よりも1回多くなったこのシリーズもこれが最終回。
イベリア半島で伝説的なまでの名声を獲得するまでになったエル・シドの最期を見てゆくことにします。

(クアルテ以後)
1094年のクアルテの戦いでムラービト軍を撃退したエル・シド。
これ以降は彼を巡る周辺諸侯との関係は急速に好転して行きます。
まずアラゴンとは同盟が成立し、更にサラゴサとの停戦協定をエル・シドが斡旋していたことで、アラゴンはエブロ川を越えてエル・シドの居るレバンテ地方へ軍を動かすことが出来るようになっていました。

次にナバーラ王国とバルセロナ伯とは婚姻関係が成立します。今まで書いていませんでしたがエル・シドと妻ドーニャ・ヒメーナとの間には一男二女、三人の子が生まれており、その内の娘二人が上の両家に嫁ぐことになったのです。しかもその相手はナバーラ王の孫でモンソン領主のラミロと、もう一人はバルセロナ伯ラモン2世の息子で後を継ぐ事になる後のラモン3世というイベリア半島の王侯たちでした。
そして後にモンソン領主ラミロとエル・シドの娘クリスティーナから生まれたガルシアはナバラ王となりますから、その後のナバラ王家(ヒメノ家)は100年後に断絶するまで実はエル・シドの血脈を受け継いでいたのですね。

また、こうした上位の諸侯との同盟や婚姻関係が成立すること自体、エル・シドの地位が向上したことを意味していました。この頃から証書などにはバレンシア伯やロドリーゴ伯の名が見られてきますし、政治的にはアラゴンやナバーラと関係の深いフランスにもその名が見られるようになってきます。


(バレンシアの覇者)
その後、アラゴンからの支援も受けたエル・シドは1096・97年と再びムラービト軍を破り、1098年からはバレンシアの北東すぐ近くにある古都サグントの攻略も行っています。サグントの町はかつて1300年前にハンニバルが半年に渡る攻囲の末にようやく攻略できたほどの城塞都市で、崖の上に街と一体となる防衛施設が築かれていたため力攻めではほとんど攻略不可能な所でした。エルシドはここを数ヶ月もの包囲の末に降伏に至らしめ(つまり攻め落とせなかった)、バレンシア一帯を完全に平定します。
1098年夏、今やバレンシアを含むレバンテ地方はエル・シドの掌中にありました。彼の統治は度重なる軍資金の調達のため上級市民にかなりの重税を課すなど負担の大きいものだったようですが、一方で教会の整備や聖職者の保護、市内の治安維持などは問題なく成されており、それなりに安寧を取り戻しつつありました。
しかし、彼に残された時間はもうあとわずかとなっていたのです。


(英雄死す)
1099年7月10日、エル・シドはバレンシア近郊で発病しそのまま亡くなります。
伝説では彼の遺体はそのまま保管するよう命じられたとされ、ムラービト軍が攻めてきたらその姿を見せるよう言い残していたとされます。そして後日ムラービト軍がバレンシアに迫った時、城門から馬に乗せられたエル・シド(の遺体)が突撃してくるのをみたムラービト兵士は我先に逃げ出した、そんな話が伝わっています。(確か1961年制作のエル・シド映画のラストが正にこれだったかと思う)
その後、バレンシアはエル・シドの妻ドーニャ・ヒメーナ主導の下に防衛が続けられますが、相続権のあったナバラ・バルセロナ、同盟関係にあったアラゴン・サラゴサ、そして元主君のカスティーリャのいずれもバレンシア確保には動きませんでした。
1102年、バレンシアはムラービト軍の接近により放棄され、エル・シドの入城から8年で陥落します。
最大の障害を取り除いたムラービト軍はその後間もなくサラゴサを平定しますから、彼らムラービトゥーンにとってエル・シドの存在が如何に大きかったかが分かります。


(あとがき)
さて、これでレコンキスタ史上最大の英雄エル・シドを巡る話は終わりとなりますが如何だったでしょうか。
彼の人生を追い掛けていて最も驚くのは、負けた記録が全く無い点。
『わがシッドの歌』 は半分空想の叙事詩ですから信頼性はあまりありませんが、エル・シドと同時代やすぐ後に書かれた伝記・公文書などの資料にそういう記録が一切見当たらないのですね。それこそ若い頃の一騎打ちからカスティーリャ王の近習筆頭だった頃の王位継承戦争や小人数での戦闘、現場指揮官としてのサラゴサ時代、更に独立してからの大軍相手の会戦・防衛戦・攻城戦まで、ありとあらゆるパターンの戦闘を30数年経験していながら、ロドリーゴ・ディーアスとエル・シドの名は勝利と共にありました。

恐らく彼自身の武勇というか戦闘力はずば抜けて高かったでしょうが、それ以上に彼の統率力と普段からの教練による部下たちの力量が生半可な農民兵では対抗できないほど優れていた気がします。しかもエル・シドはしばしば奇襲を受けたり挟撃されたりとピンチな局面があるのにそれを切り抜けていますから、余計にその強さが目立つのですね。
最後に、ごく個人的な視点ながら彼を歴史ファンの項目で評価するとこんな感じに。


■ロドリーゴ・ディーアス(エル・シド)
武力S
戦術B
戦略C
軍事総合A
政治D
魅力B

特殊スキル:突撃・防御・収奪・調達 
ブースト装備:名剣ティソナ(武力・戦術+1)、コラーダ(魅力+1)

◆総評
その戦場はイベリア半島内に留まるが、乱世で30数年戦いに明け暮れながら一度も負けず、独立国を持つまでに出世し、単独の勢力でムラービト朝に初めて土をつけた実績は並の軍人のレベルを突き抜けている。特に小規模戦闘で異常なまでの強さを発揮した武力と統率力はちょっと比肩する者がいないほど。逆境に強く、不遇な時も多くの者が彼を見捨てなかった人間的魅力も相当なものがある。一方政治的にはたびたび無謀・無思慮な行動が見られ、それが多くの政敵を作り主君に遠ざけられる一因となっており、彼を使いこなす者には相応の器量が求められる。それを割り引いても恐らく中世イベリア半島では最高の軍人の1人で、能力的に最も最適な部署は王家の副官か部将だったと思われ、最初の主君サンチョ2世が存命のままであればイベリア半島の歴史は完全に別物となっていた可能性すらある。



おしまい。

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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/04/01(水) 23:40:17|
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