打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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オスマン家の肖像 その1

史実と創作の狭間で~ 


今回から、この春の歴史シリーズとして興隆期~絶頂期までの、オスマン家とその周辺の人々に焦点を当てた記事を更新して行こうと思っています。
昨年の秋まで書いていた 『草原の興亡』 シリーズが古代期でいったん中断しているのでちょっとその続き=中世編を書くことも考えたのですが、既に大航海の世界ではオスマン朝を焦点にしたアップデートが実装されたと言う事もあり、その構成の一部に騎馬遊牧民の流れを受けたイスラム帝国である同家の事を書くのもまた中央アジア関連になるのかなと思い、順番的にはかなり前後しますがこちらを取り上げてゆこうかと。

そんなわけで始めることにしたオスマン編、
今回は序章から。


(混沌の中央アジア)
13世紀初頭の中央アジア。
現在のトルクメニスタンに相当するカスピ海東岸の一帯では、数十ものテュルク系騎馬遊牧民や商人が、交易と遊牧そして戦いなどによって生活を営んでいました。
ペルシア語ではこの地域でイスラムに改宗したテュルク系騎馬遊牧民をトゥルクマーンと言う様ですが、トルクメニスタンはその地名からも正にそれらの人々が雑多に暮らしていた土地だったのでしょう。そしてこの地に起源/ゆかりを持つ部族から、西に進出して一大帝国を築く者たちが出るようになる辺り、後の時代から見たらトルクメニスタンはその活力の源泉と言っても良い重要な土地だったのかもしれません。

13世紀に話を戻しましょう。
当時このトルクメニスタンからカスピ海を渡った南西部のイラン高原では、ここから進出した先駆者というべきテュルク系部族のセルジューク朝が、ホラズム朝の拡大を許してイラン高原~トルクメニスタンの一帯を失いつつありました。この時代、カスピ海東岸の騎馬遊牧民たちの一部はこれら先駆者であるセルジューク朝やホラズム朝に従ってイラン~アナトリア半島へ移住したものもおり、このトルクメニスタンでもその両者の争いによる影響が次第に及び始めていました。

しかし当時、東方の草原地帯では更に強大な勢力が急速に力を付けつつあったのです。
そう、アルタイ山脈の東で牙を研いでいた草原の蒼き狼・モンゴル族が・・。
この頃のモンゴル族はチンギス・ハーンがモンゴル高原を統一するや、東の金国や南の西夏、西の西遼を攻撃するなど中央アジア東側に君臨する最大の勢力に急成長しつつあり、同じくカスピ海の東側へ急速に拡大しつつあったホラズム朝とは境を接する寸前まで来ていました。

しかし1218年、チンギスが西方の有力国・ホラズムに使節と隊商を送ったところ、これが途中の街オトラルで現地の太守によって襲われ、使節と隊商共に殺害され強奪されるという事件が起こります。これが、これ以降百数十年に及ぶモンゴル族の襲来と支配の契機となるとは誰が予想したでしょう。
そして翌年に始まるチンギス・ハーンの大遠征により、ホラズムの前衛基地が連なるトルクメニスタンを含むトランスオクシアナの地は戦乱に叩きこまれる事になったのでした。

そしてこのモンゴルの災厄とも言うべき戦乱の時代の中から、
後のオスマン家の始祖とも言うべき英傑を巡る伝説もまた生まれて来ます。



(伝説)
この頃、中央アジアに起源を持つトゥルクマン24氏族のひとつ・カユ族では1人のリーダーが生まれていました。
その名をスレイマン・シャー。
テュルク系遊牧民の族長家に生まれたスレイマン・シャーはこのモンゴルの襲来から部族を守るため、西へと移動を開始します。時代的には1220~1240年頃と考えたらよいのでしょうか。
オスマンの伝説では、イラン~アナトリアに勢力を張っていたセルジューク朝を支援したスレイマン・シャーはその帰りの途中ユーフラテス川で事故死しますが、このスレイマンには3人の息子があり、そのままこの地に定着を始めたと言います。その後、三人の息子のうち、長男のエルトゥールルをリーダーとした400戸もの集団は遊牧を続けながらアナトリア半島を更に西へ移動を続け、同じテュルク系部族が建てたセルジューク朝が支配するアナトリア半島の、更に外縁のビザンツ系諸侯国との境界に当たる北西部まで到達し、ようやくそこで定着します。

そして実はこのいわば避難民たちの系譜から、
後に数百年に及ぶ巨大な帝国・オスマン朝を打ち建てる集団が生まれて来る事になるのでした。
エルトゥールルの跡を継いだ息子の名は、オスマン。
彼と彼の息子の時代にオスマン家とその集団は急拡大を遂げて行くことになります。


このあたりのオスマン創世の言い伝えは、今ではほとんど伝説上というよりむしろ後世の創作として扱われているかもしれません。しかし、いっぽうでは彼らオスマン朝の人たちがそういう自分達の由来に関して、騎馬遊牧民の子孫としての縁を持とうとしたのは事実でしょう。オスマン家はその移動と拡大の過程でギリシャや西ヨーロッパ系の血脈が色濃くなってゆき、テュルク系の部族としての部分がどんどん希薄となって行っただけに、逆にそういう遊牧民としての濃いエッセンスを感じる話は大事にしたのかも知れませんね。実際の所、帝国と呼ぶべき規模にまで成長した時代のオスマン朝では、ほとんど騎馬遊牧民としての面影を残していません。まあエルトゥールルの存在はともかく、実質的には初代となるオスマンの名はギリシャ系の史書にも登場してきますから、このあたりで伝説は終わり、史実が始まったとすべきでしょう。

次回は本編、遂に自らの所領を持つに至ったオスマン家の初代当主をみてゆきます。



おしまい。


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  1. 2009/05/20(水) 06:37:58|
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