打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

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オスマン家の肖像 その2

オスマン1世登場


(乱世のアナトリア半島)
中央アジアから西進してアナトリア半島に至ったオスマン家。(という説で書いてます)シリーズ第二回は、始祖エルトゥールルの息子オスマン1世と、その子でオスマン家の領国を大きく発展させる事になるオルハンの時代を見てゆきます。

オスマン家の実質初代と言えるのが、エルトゥールルの息子とされるオスマン1世。
そもそも「エルトゥールルの息子オスマン」というのも、たった2枚現存している貨幣に残されていた刻印からだけなので、これはちょっと事実かどうかは怪しいところ。オスマン家が自国で貨幣を発行できるようになったのは、アナトリア半島の西端をほぼ制圧した2代オルハンの頃ですから、自国のルーツを正当化するべくこの頃から工作もしくは設定を始めたと見る事も出来ます。

さて、初代オスマン1世の動きに戻りましょう。
アナトリア半島の北西部、内陸の高地帯で落ち着いたオスマン率いる数百戸の集団、ようやくそこで落ち着いて遊牧生活に入る・・ことはなく、いきなり戦いの日々になってしまいます。というのも13世紀当時のアナトリア半島は東西の圧力によって諸侯が割拠する戦乱の時代に入っていたからです。その中で新参者がその地位を向上させるとなれば自ら戦いの中に身を投じるというのが自然な選択となるでしょう。そして東西の不安定要因がそれを誘発していました。

東ではモンゴル族の侵入。
チンギス・ハーンの世代の後もモンゴル族は西進を続けており、1240年代にはセルジューク朝を従属下に置いたあと、1250~60年代にはフレグを総大将とする征西軍がイラクのバグダッドを落としてアッバース朝を滅ぼしイル・ハン国を建ててゆきます。その後フレグの部将がアイン・ジャールートでバイバルスに敗れるという事態にはなりますが、オスマン1世の活動期となる14世紀初頭には、結局アナトリア半島の東半分はモンゴル帝国の支配下に置かれるようになっていたのですね。

そして西では、同じキリスト教徒同士の争いが。
オスマン1世の時代をさかのぼること100年、1204年の第4回十字軍はなぜか北に曲がってコンスタンティノープルを攻め落とし、ビザンツ帝国はここでいったん滅びて小アジア周辺に逃れて亡命政権が出来る事になります。ニカイア帝国・トレビゾント侯国などがその亡命政権ですが、この時ニカイア帝国が逃れたアナトリア半島の西端部こそ、後にオスマン家が躍進し最初の領国を成立させる根拠地となったのでした。その後、1261年にはニカイア帝国のミカエル・パレオロゴスがコンスタンティノープルを奪還してビザンツ帝国は再建を果たすのですが、この戦乱によってギリシア側・アナトリア半島側ともにその影響力は著しく低下してしまっており、結果としてこの地域では中小の諸侯国が乱立して互いに争う状況となって行きます。
オスマン1世の集団が落ち着いた先であるアナトリア半島西部がそんな感じで乱世の只中にあった事は、彼と彼の集団にとって大きく飛躍する機会となったのでしょう。



(オスマン登場)
1302年、これが後に大帝国を打ち建てる事になるオスマン家が歴史に初めてその名を残した年になります。オスマン1世率いる集団がこの年、アナトリア半島北西部でビザンツ領となっているビテュニア地方に侵入し、ビザンツ皇帝配下の軍とバフェウスという地で対峙し、ビザンツの地方軍を破ったと記録に残っているのですね。
しかもこの時既にオスマンの集団は単なるテュルク系の騎馬遊牧民の集団ではなく、かなりの割合でギリシア系やアナトリア~コーカサス近辺の諸部族の職業軍人が混じっていたのは興味深いところ。これは、この頃のビザンツ帝国は前述したように後の皇帝ミカエル8世パレオロゴスによってコンスタンティノープルを奪還した後の時代で、彼の治世で政軍両面での再編成と外交政策を行った結果一時的にビザンツは勢いを取り戻すのですが、一方で息子のアンドロコス帝の代までにこれまでの在地軍人の特権などを廃止もしくは縮小した為、アナトリア半島西部のけっこうな地域・集落ではトルコ系の諸侯国に元のビザンツ軍人や諸部族の傭兵たちも含めてまるごと寝返るようになっていたとも考えられます。

それにしても、オスマン家が台頭してきたビテュニア地方はニカイア帝国が亡命していたまさにその地だった訳で、こうした在地の武力・生産力を吸収した事でオスマン家の勢力は急拡大したのでしょうが、同時にこれによってオスマンは騎馬遊牧民としてよりギリシア系の影響を強く受けた複合勢力としての性格をこの頃からもって来る事になりますね。在地の勢力がイスラム化するのはどの時点かは不明ですが、かなり初期からギリシア系の奴隷・捕虜をイスラム教徒にして近習にしたり政軍両方で支配下に組み入れて正規の構成要員にしていたのはちょっと注目すべき点と思います。

ところでこの頃、アラブ世界からある有名人がはるばるモロッコから地中海沿岸をぐるりと回ってきた末にこのアナトリア半島を旅行しにきます。
その旅行者の名は、イブン・バトゥータ。
後に『三大陸周遊紀』を書き上げる彼が、この時代のアナトリアに関する旅行記を書いており、この中でオスマン侯国を『この地で最有力の諸侯』と評しています。彼がアナトリアを旅したのは恐らく1310~20年代。この頃既にオスマン家は彼にそこまでの評価を感じさせる有望な集団に育っていた事になりますね。



(オスマン侯国の成立)
さてバフェウスの戦いから10数年、オスマンの集団はビティニア地方で次第に勢力を拡大してゆき、1320年代に入るとオスマン1世と息子のオルハンはこの地方の中心都市ブルサの包囲を行います。ここの包囲戦のさなかにオスマン1世が亡くなるものの、跡を継いだオルハンは1326年にはこのブルサを攻略したのでした。これはオスマンによるビティニア征服への大勢が事実上決まったことを意味しており、オスマンはこの頃から侯国を名乗るようになり貨幣の発行なども始めます。
さすがにこれには驚いたビザンツ帝国、当時の皇帝アンドロニコスは1329年になると大軍を上陸させてオスマン討伐に動きます。しかしこれが、決定的なオスマン自立の契機ともなったのでした。
同年、アナトリア半島に上陸したビザンツ軍はコンスタンティノープル対岸から東に100km程の所にあるペレカノンという所でオスマンの軍勢と会戦を行うのですが、結果はというとビザンツ軍の大敗。直接対決に勝つ事でオスマンはこの地での覇権がほぼ確定し、1331年ニカイア・1337年ニコメディアと古来から歴史に残る重要都市をも陥落させて完全にこの地域の大国となります。
その後、オルハンは当時強力な海軍力でエーゲ海で強い影響力を持っていたアナトリア南西の有力国カレスィ侯国と対峙するようになります。両者の対決は中小国の乱立するアナトリア西端での事実上の覇権争いを意味していました。しかしなぜか両者の争いは回避され、1340年代にオスマン家はカレスィ侯国を政治的に併合することで海までの地域を手中にします。強力な陸軍と海上戦力を併せ持つ事になったこの時点で、オスマン家は権威的なものは別として力量では地域の有力諸侯として抜け出しつつあったのでしょう。そしてまたこれまで縁のなかった海上戦力を得たことは、彼らが対岸へと進出する第一歩ともなったのでした。



オスマン1345
追記)
1345年頃の周辺地図を作ってみました。
W800ピクセルですので詳細は拡大してどうぞ。
西のカレスィ侯国を併合した事で、
この時点でオスマンは既にアナトリア半島で最大の諸侯に成長してますね。




おしまい。


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  1. 2009/05/26(火) 07:34:59|
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