打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

オスマン家の肖像 その9

アンカラの戦い 前編


興隆期のオスマン家を見てゆくシリーズの9回目。
前半のヤマ場となるバヤズィト1世とティムールの邂逅を追ってゆきます。

このシリーズ、事前に書いたプロットでは全24回を予定しており、序盤・中盤・終盤と分けるなら今回で序盤が一区切りとなるでしょう。何しろここまで驚くほど順調に拡大して来たオスマン家が、たった1度のつまづきから始まる壮大な崩壊劇を見せてくれるのですから・・・。


(接触)
1399~1400年、この14世紀最後の年にバヤズィトはアナトリア東部にいました。
その4年前に西方で起きた対オスマン十字軍を退けて以降、バルカン~黒海沿岸の諸国をほぼ平定し、この年にはアナトリア半島の東端部までその支配の手を伸ばすようになっていたのです。

この頃、そのアナトリア東部へ、ティムールに追われていたテュルク系遊牧民の族長、カラ・ユースフが逃げ込んできます。遡ればオスマン家もトルクメニスタンにいたテュルク系の一族、バヤズィト1世はこの族長を始め追われてきた者たちを保護すると共に、追ってきたティムールの先遣隊からの引き渡し要求を拒んだのでした。
その後、ティムールからは再三引き渡し要求が成されるのですがバヤズィトが断り続けていたため、そのうち両者の物言いは抜き差しならないところまで静かにエスカレートしてゆきます。

ティムール曰く、
『汝、余の命に背く事あらば、余の呪いが汝に降り掛かることを覚悟せよ』

バヤズィト1世これ対して曰く、
『汝、ティムールと名乗る狂犬よ、
 汝、ビザンツの皇帝どもよりなお不信の徒たるティムールよ、
 我、汝の書をしかと読みたり。ここなるは呪われたる者ぞ』

つまり、 『売られた喧嘩は是非もなし』 って意味でしょうね。
この年から両者は互いに警戒心を露わにして臨戦態勢に突入してゆくのでした。

その後、バヤズィトは数度目のコンスタンティノープル包囲に向け、この頃総勢10万以上になっていたオスマン軍をいったんバルカン方面に戻します。
何しろコンスタンティノープルの人口はこの時代でも優に10万以上、衰えたりとはいえ地中海屈指の大都市であることには変わりなく、しかも海と陸地の先端で囲まれた城塞都市ですから、外交的な脅迫手段としての包囲ならともかく、本気で落としに掛かるとなれば長期戦になること必至でしたから、やるとなったら主力を持って当たらなければ成功はおぼつきませんでした。


(ティムール西進す)
1402年、この年ついにティムールがアナトリア半島めがけて西進を開始します。
狙いはアナトリア半島中央の拠点都市アンカラ、そして旧都ブルサだったでしょうか。
しかし、現在でもトルコ共和国の首都であるこのアンカラ、比較的早い段階でオスマン領となっており、古代ローマ期から続く山間部の街とあってその防備は堅く軍需物資も豊富で、容易に騎兵で進入することは困難でした。
アナトリア半島は元々山がちな地形で、アンカラでも標高800m台はありますから、ティムールの侵入は恐らく沿岸の平地帯かアナトリア北部を横断する高原地帯だったでしょう。それまでバヤズィトが征服していったアナトリア東部の諸侯を次々と従えて行くうちに、ティムールの配下は20万以上にまで膨らんで行ったと言われています。

昔の戦いにおける兵力の記載は結構、 『号して20万』 みたいな過大な数字が上がる事が多いのですが、どうもこの数字はわりと信用できるものらしく、多くの史書がこれに近い値を提示しています。そもそも当時の記録では 『およそ百万』 という数字が使われているのですから、逆に実数15~20万というのが妥当と思えるのですね。何にしろ、これは中世末期としたら驚異的な大軍だったのは間違いありません。


オスマン1402
※1402年、アンカラの戦い関係図(W1000)


(遭遇)
一方、コンスタンティノープルを包囲中にこの報告を受けたバヤズィト、直ちに包囲を解いて10万以上のオスマン軍を率いてアナトリアに渡り、強行軍をものともせず先にアンカラに着いたのでした。
そしてこの時点ではティムールの位置をほぼ把握していたと思われるバヤズィト、至近の山地帯での決戦になると読んだのか、馬を下り、軽装・徒歩・輜重も置いてアンカラを進発します。
確かに山地での戦いとなると、騎兵はその機動力・展開力を活かす事は困難でした。
このままティムールをアンカラ城外へおびき寄せて戦う事になっていれば、恐らく城の防御力・歩兵弓兵の戦術能力・補給などの面でやや兵数の少ないバヤズィト1世にも勝機は充分あったと思われます。
しかしイランやアフガン・グルジアの高地でその辺りの事は充分経験していたであろうティムールは、山地での激突を避け、アンカラを目の前にして一転南下を始めます。

こうして、両者の戦いは侵入してきた方(ティムール)を防衛側(バヤズィト)が追い掛けると言う逆の展開になって行ったのですね。
追撃する事数日、アンカラの南から北に出たティムールは途中で手薄となっていたアンカラを急襲するも反撃されて撤退するというやや失策を犯すのですが、ここでバヤズィトは何故かこれを見逃します。
その後、更に北東に移動したところで丘と川に挟まれやや開けた平地に出たティムールが軍を止め、両者はここでようやく陣を敷きます。
現実の遭遇戦で相手を捕まえに行こうとしたら実際はこうしてかなりめんどくさいものですが、これ結局のところ歩兵主体で補給も少ない状態で出てしまったオスマン軍はティムールに引きずり回された結果、真夏の行軍となった事もあって大きく消耗してしまっていました。



つづく。


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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/06/23(火) 22:16:31|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

ティムールといいチンギスといい・・遊牧民族は衰亡期の国家じゃなくても滅ぼしてしまうのが恐ろしい・・。
  1. 2009/06/24(水) 23:41:06 |
  2. URL |
  3. めけ #-
  4. [ 編集]

めけけさん>>
バヤズィトやムラトが破った東ヨーロッパのブルガリア・セルビア・ワラキア・ハンガリーも当時の水準としたらけっこうな力を持ってた国々と思うんですよね。そういう国々を落とすだけの力を持ってたオスマンも相当に充実してたはずなので、アンカラの1戦がまともな状態で当たれなかったのは非常に惜しいかな。それでもティムールに対して五分まで持っていけたかというとうーんとなる位にティムールが驚異的なんだけど・・・。
  1. 2009/06/27(土) 10:13:09 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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