打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

オスマン家の肖像 その14

帝国墜つ 後編


(コンスタンティノープル攻防戦)
1453年春、コンスタンティノープル攻略の準備が始まります。
長大な城壁を有するこの都市を功略するためにオスマン側が見積もった兵力は実に10万。この数字、どんなに少なく見積もった資料でも5万以上とされ、一方でキリスト教徒側の資料には40万なんて誇張も見られますが、いずれにしろとんでもない大軍だったのは間違いありません。
その内訳は精鋭のイェニチェリ軍団が1万2千、同じ直轄のカピクル集団にいる砲兵・銃兵その他、バルカン兵やアナトリア兵、更に支配下に加えたハンガリーの砲兵と技師たち、そしてセルビア・ブルガリア・マケドニア・アナトリア諸侯など従属国からの参加兵が同数以上、更には艦隊数十隻など、当時のオスマン家が持てるほぼすべての力がそこに集約されようとしていました。
ただまあ、こうして見るとオスマン家の直轄軍は精々2~3万程度で、残りは他国兵やかき集めた傭兵だったことが分かりますね。逆に言えばそれだけに、もしこの攻略戦が失敗したらオスマン家の軍事的な影響力は地に墜ちる事をも意味していた訳で、オスマン側としても負けられない闘いだったと思います。

これに対してビザンツ帝国以下、防衛側の諸国も動きます。
まずヴェネツィア共和国は支援の艦隊を派遣し、コンスタンティノープルの北東に広がる金角湾の出口を封鎖していた鎖により外からの艦隊の侵入を阻みつつ、外周からの侵入を艦隊戦力でもって阻止する策を取ります。またジェノバ共和国も傭兵を派遣し、守備兵の増強とマルマラ海側の海上戦力を増強するなどしてこの防衛戦に参戦します。ヴェネツィア海軍は参加が遅れて当初の攻防に参加できなかったことから、この戦いではジェノバの兵が非常に大きな働きをしたのでした。
そして当事者である市民は数こそだいぶ減ってきてはいましたが士気は高く、金属器の供出や武器の製造、城壁の修繕、市民兵の参加など、さし迫るオスマンの脅威を前にむしろここに来て団結して立ち向かう姿勢を見せ始めていました。といっても10万を相手にして戦えた者は8~9千人程度ですから、基本的には相手が撤退するまで篭城するしかないわけですが・・。


(開戦)
さて、コンスタンティノープルの攻城戦と言えばそれ自体で1冊の本になったものが存在してるくらいに多くの資料が残っている出来事。いっぽうここでは200年からのオスマン史をわずか20数回のシリーズで書く予定ですからそんなに詳細に書くのもあれなので、なるべく簡潔に行きますね。

攻略戦の開始は1453年4月6日の金曜日。
オスマン軍の攻城砲の咆哮により開戦の火蓋が切られます。

しかし前半におけるオスマン軍の攻撃はややちぐはぐ。
まず、北・東・南を金角湾とマルマラ海で囲まれたコンスタンティノープルが大陸側と繋がってるのは西~北西方向だけですから、自然と陸上戦力の多数はここに集められます。しかしいくら1方向からの攻撃と言っても全周で20数kmに及ぶ長大な城壁は万単位の大軍でも完全に包囲することはできませんでした。完全に包囲ができないという事は、篭城する側は適宜必要な補給物資を運び込めたでしょう。これは海の上でも同様で、中にはたった4隻のジェノバの補給船がオスマン艦隊の攻撃を受けつつも拿捕されずに補給物資を運び込んだ記録も残っています。

またハンガリーの技師が最初に持ち込んだ大砲は250kgの砲弾を撃ち出す重砲でしたが、あまりに精度の低いこの大砲では威嚇以上の効果は見込めませんでした。
そこでオスマン軍は今度は500kgの砲弾を撃ち出す『バリメッツァ』という巨砲も持ち込みます。この大砲は20km先からも砲声が聞こえたと言う記録があり、さすがに破壊力は絶大なものがありました。何しろ高さ4mもあるコンスタンティノープルの城壁の一角に突破口を開けるほどの威力を見せたのですから。
とはいえこの大砲も精度は低く、しかも発射間隔は3時間ほども空いてしまう為、実際には主力とするほどには使えなかったようです。発射間隔のあいだに城壁を補修したなんて記録があるのですから、ちょっとお粗末かも。

しかしこの時の砲撃で北東側の城壁の一部を崩した事は後で大きな意味を持ってきます。
こうして砲撃主体に始まった戦いが4/18の総攻撃を経てやや膠着した状況が続いた4月22日、
コンスタンティノープルの市民・守備兵は驚くべき光景を目にします。


(金角湾突破!)
4月22日にビザンツ市民が見た光景は、何と金角湾内に浮かぶ夥しい数のオスマン艦隊。
そう、オスマン艦隊はこの時、鎖で侵入できなくなっていた湾内へ、
前日の夜から70隻もの艦隊を陸に上げて運ぶ事でそれを解決したのでした。
こうなると数で劣るビザンツ側は守備兵を金角湾に面する城壁へも振り向けるのですが、結局陸地へ浮橋を掛けての渡河は許してしまい、オスマン軍は遂に東~北側へも直接取り付く事に成功したのでした。
この逸話、確か冒険クエストでも入っていたエピソードですし、
かなり有名な戦術ですから冒険者でなくても聞いた事のあるひとは多いでしょう。
この金角湾へのオスマン海軍の侵入という出来事、そこから直接城内への侵入が可能になったわけではありませんでしたが、艦隊による補給物資の搬入を妨害したりただでさえ少ない守備兵を分散させる効果は生んでいたと思われ、焦点となる西側の城壁での攻防に大きく影響を与えていたと思います。
その後、5月に入ると城壁各所への直接の攻撃が始まり、坑道からの侵入や塔をめぐる攻防など局面局面で歴史に残る激戦が繰り広げられてゆきます。

まあそんな訳で開戦から2ヶ月近くが経った5月下旬になると、3方を海で囲まれた天然の要害コンスタンティノープルにも、刻一刻と最期の時が迫っていました。



(帝都攻略)
1453年5月29日、メフメト2世は57日間の攻防戦の末、遂に総攻撃を命じます。
何度目かの突撃をビザンツ兵が撃退したあと、北東側の城壁にイェニチェリ軍団が取り付き、初期に崩した城壁の隙間から一部のオスマン兵が侵入するや、一気に城門も破られてオスマン軍は城内への侵入に成功します。
当時のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世はこれに対してみずから防戦に当たり、結局そこで戦死または行方不明になったとされ、こうしてビザンツ帝国はここに事実上滅亡します。

帝都コンスタンティノープルはスルタンの座所イスタンブールに、多くの市民・貴族が逃げ込んだ聖ソフィア教会のドームは彼らが捕らえられたあとそのままモスクに改変され、その他多くの正教系の施設もモスクやオスマン家の所有物となります。

ただ、この落城時の被害ですが、オスマン側の記録とキリスト教徒側の記録で大きな隔たりがあるのは興味深いところ。例えば落城時に普通に行われる略奪行為はメフメト2世の命令で1日で終わったとするオスマン側の記録と、破壊し奪いつくされて地上から消滅したかのようなキリスト教徒側の記述のどちらが正確なのかは注意して記録を診る必要があるでしょう。
分かっている事では、イスタンブールの人口はわずか10年数後には攻城戦開始前の5万人弱から10万人規模の大都市に成長していたこと。それから正教系の施設・教徒はそのまま在住を許され、総主教座としての地位は確保されていたこと。外国人・商人などでスルタンに保護を求めた者には居住区が確保され、一定以上の自治権が与えられていたことは記して置くべきでしょうか。


(その後)
しかし、事実とは別に、キリスト教国側の反応は凄まじいものがありました。
実力はともかく権威では頂点に立つ教皇は奪回の十字軍を各国に呼びかけますし、東欧ではオスマンの勢威がいささかも衰えていないどころか10万規模の軍勢を擁したスルタンがそのまま旧帝都に留まっていて脅威となっている事を再認識させられたのですから。
そして現実には奪回の十字軍に動く諸侯がほとんど現れなかった一方で、
『征服者』 メフメト2世は攻略戦で集めた10万の軍勢の新たな使い道を既に見定めていました。
実際の所、コンスタンティノープルの攻略という大事件すら、
メフメト2世の経歴の上ではあまたの事象のうちの一つに過ぎなかったのです。



おしまい。


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