打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

オスマン家の肖像 その16

オスマンの野望 将星録


アップデートがあったり発表会があったりで間が空いてしまったオスマン編の続きです。


(バヤズィト2世)
1481年に偉大なメフメト2世が亡くなった後、オスマン家の後を継いだのはバヤズィト2世。
兄弟を倒してスルタンとなった彼の治世は、彼自身の資質もあるでしょうがメフメト時代の度重なる戦争で財政破綻する寸前を引き継いだ為に、軍事面ではかなり縮小された行動を余儀なくされていました。
それでも例えば黒海西岸を制圧する事で従属国だったクリミア・ハン国と地続きとなりモンゴル騎兵(正確にはクリミア・タタール兵と言うべきか)を投入できるようになった事や、アナトリア東部の諸侯を取り込む事で黒海をオスマン勢力下で安定させるなど、彼の代でオスマン帝国がその実を固めた功績は大きいでしょう。
1512年には息子のセリムにスルタン位を追われてしまいますが、バヤズィト2世が30年間の治世で蓄えた地力はその後の世代で大いに発揮される事になるのでした。


(大航海時代の胎動)
その一方で、15世紀末ともなると海の上では一大変革が既に始まっていました。
なにしろメフメト2世が亡くなった1481年、
これ実はポルトガルのジョアン2世が即位した年でもあります。

ジョアン2世はそれまで専横を極めていたブラガンサ公を処断するや大洋に乗り出し、
1482年サンジョルジュ建設、1484年コンゴ到達、1488年喜望峰到達など、
次々にアフリカ事業の成果を挙げてゆきます。
そしてこのポルトガルに対し、イスパニアもジェノバ人であるコロンにより1492年に西インド諸島に到達するなど、両国は急速に活動範囲を拡げて行ったのです。
もうこの辺は大航海時代そのものの話なので細かく書く必要は無いでしょう。
とにかくこんな感じでオスマン朝が東地中海で順調に拡大路線を取っている中、
世界はそれ以上の激変期を迎えていたのですね。

更に地中海でも大航海時代の幕開けによる変動の余波は受けており、
人材の移動や船に関する技術革新などもこれまでにない速度で進んでいました。
軍事に関してならば、例えばこのバヤズィト2世の時代にヨーロッパの鋳造技術者が流入した事でオスマンのガレー船にも大砲が積まれるようになり、また造船技師の流入は海洋後進国だったオスマンに短期間で大艦隊を誕生させる要因のひとつともなっています。

そしてもう一つ海に関して、
地中海では既に次代を担う英傑たちが生まれていました。


アンドレア・ドーリア(1466~1560)
ハイレディン・レイス(1475~1546)


バヤズィト2世が着々とオスマン国内の充実を図っていたこの時代、
彼らもまた青年期を過ごしていたのです。
そして16世紀を迎えると、
この2人を代表とした新世代の男たちによる地中海の攻防が始まってきます。
彼らの動きについては時が来たら書く予定ですのでお楽しみに。


(オスマンの海将)
基本的に草原の民であるオスマン家とトルコの貴族たちにとって、
海は苦手というより『分からない』が本音だったのでは無いでしょうか。
そして、『分からないなら任せてしまえ』という思考に至るのはごく自然な流れだったと思います。

15世紀中盤~後半における初期のオスマン海軍ではトルコ人の指揮官の名が見られるのですが、その後の時代になるとギリシア系の、ひょっとして元々はキリスト教徒なのでは、という名が多く見られるようになるのは偶然ではないでしょう。
ハイレディンが登場するまでの海賊衆とオスマン海軍の指揮官の名を挙げて見ます。


クルトゴル

アナトリア出身で海賊からオスマン海軍の司令官にまでのし上った人物。
トルコ系である事から早い段階でスルタンの目に止まったクルトゴルは、1508年にスルタン・バヤズィト2世から多額の資金を与えられたのち、チュニス一帯を基地としての活動を始めます。そして10数年の活動の後、特にイタリア沿岸での功績を認められてイスタンブールに招かれ、オスマン海軍の総司令官に抜擢されるまでに出世したのでした。


ガダリ

同じくトルコ系の海賊。
1518年からクルトゴルの後任でバルバリア海賊の頭目となった人物です。
1519年にはローマ教皇直属の海軍を襲撃してその司令官パオロを捕らえる大功を立てますが、その後アンドレア・ドーリア率いるジェノバ艦隊に完敗して逆に捕虜となり、そのまま獄死したと伝えられます。


ウルージ・レイス

ハイレディンの兄。
赤ひげバルバロッサの異名は元はこの人からきてます。
この兄弟、元はジェノヴァの拠点だったレスボス島出身らしく、
そうだとしたらイタリア系かギリシア系の血を受け継いでいたのでしょう。
ウルージは若い頃オスマン海軍で働いた後に独立して私掠船長となり、その後チュニスのベイ(首長)と契約して港湾施設を使わせてもらう代わりに収益の1/5を支払う条件で活動を開始します。教皇庁のガレー船を鹵獲するなどして名声を上げたウルージはその赤ひげからバルバロッサ(『ロッサ=赤』の意でしょうか)の異名を得て、1517年にはアルジェリア一帯を制圧してスペイン本国を脅かすようにまでになります。
この海賊によるアルジェ制圧という事態はスペインにとっては非常に頭の痛い問題で、中には新大陸から帰ってきてバルセロナやバレンシアへ帰港する直前の遠洋航海船が襲われるなど、その被害は国家財政にまで影響を及ぼす深刻なものとなったと言います。
そしてウル-ジの死後その後継となったのはおなじくバルバロッサと呼ばれた弟のハイレディン。兄より更に優秀というか人物的にも優れた指導者としての資質を併せ持っていた為、このハイレディンはその後オスマン海軍の総指揮を取ってドーリアとの決戦に臨みますがこれもまた別の機会に書くとします。



とにかくこれらの人物の登場によって、16世紀のチュニスやアルジェの海賊の頭目となると単なるイスラムの海賊衆ではなく、トルコの正規海軍での地位と実力を与えられた軍人としての側面を持つようになってきます。それは、キリスト教徒側にとっては海上戦力の充実と共にプロの海将でなければ彼らに対抗できない力と力の時代の到来を意味していました。

さて次回は、地中海を離れて一旦東方の動きを見ておきます。
オスマンはなにもヨーロッパとだけ戦っていた訳ではないのですから。
むしろより強大な相手・同じイスラム諸国との戦いとなったこの方面を書くのはけっこう重要かも。


おしまい。


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テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/08/03(月) 23:14:11|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

イスラムの英雄って名前がなんかかっこいいですよね!!
  1. 2009/08/04(火) 17:49:05 |
  2. URL |
  3. アマッツィオ #-
  4. [ 編集]

アマッツィオさん>>
イスラムの人名は本名・異名・通称、地位名ごっちゃで書くことが多いのでちょっと注意かも。ベイ・パシャ・レイス、カーンなどは地位や立場に基づく名前ですし、バルバロッサは異名、ガダリやクルトゴルは本名でなく通称かもしれません。それに記録するほうがヨーロッパ人かアラブ人かトルコ人かで呼び方もまた違うのでこれは混乱しますね。
  1. 2009/08/06(木) 08:15:27 |
  2. URL |
  3. ハミルカル #-
  4. [ 編集]

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