打倒ローマは一日にして成らず

大航海時代Onlineでカルタゴ復興に燃える元将軍の記録。

オスマン家の肖像 その24

海将の時代


およそ半年に渡る長丁場となったオスマン家のシリーズもいよいよ最終章へ。
ここからは地中海に舞台を戻して海を巡る攻防に焦点を当ててゆきます。
もうこの辺になると完全に大航海時代の話そのものなので承知してる人も多いと思いますが、
まあ確認も兼ねて進めてゆきますね。


(赤ひげ登場)
この時代のオスマン側の人物として絶対に書いておかないといけない存在といったら、
やはり「赤ひげ」と異名を取ったあの兄弟に関してでしょう。
エーゲ海東のレスボス島にギリシア系の軍人の子として生まれたとも言われる、
後の「赤ひげ=バルバロッサ」ことウルージとハイレディンの兄弟。

1504年頃にチュニスに渡り、若い頃に教皇庁の船2隻に小型船ガリオットで突っ込んでこれを見事鹵獲するなどして武名を挙げたこの兄弟、1510年頃になると10隻近い小艦隊の頭目となってジェルバ島を根拠地として活動を本格化させます。しかしこの初期の活動は、無謀にもジェノバ船に手を出した事から当時西地中海最強の海将として知られ始めていたあのアンドレア・ドーリアの反撃に遭い、ウルージの負傷とゴレッタ砦を失う惨敗を喫してしまいます。これが、後にお互い100隻単位での大艦隊を率いて戦う事になる16世紀の地中海を代表する二人の海将、ドーリアとハイレディンの初対決となったのでした。

1516年、再起を伺うウルージとハイレディンの兄弟に、アルジェから救援要請が舞い込みます。
この要請、当時のスペイン両王であるフェルナンドの死を好機と見てのアルジェ決起を狙ったものだったのです。この時ウルージは驚くべき事に海賊衆6000人、海賊船団16隻を率いて北アフリカ沿岸を西進しながら付近の海賊衆・拠点を制圧して行きアルジェに到達。そして援軍に来た数千のスペイン軍を撃退する事で、アルジェの実権をも手中にする事に成功したのでした。

同年、スペインに強力な新王が生まれます。
後の神聖ローマ皇帝カール5世となるカルロス1世ですね。
カルロス自身がスペイン入りし実権を握るのは1517~19年ごろでしたが、
即位の年に早くも1万のスペイン軍をアルジェに派遣し、
ウルージを追い詰めて戦死に至らしめます。
そしてこのウルージの死後、その後継者となったのが弟のハイレディンでした。


(ハイレディン・バルバロッサ)
ハイレディンは兄ウルージよりも戦略眼に秀でていたのでしょう。
この時ハイレディンはアルジェとバルバリア海賊ごとオスマンに献上・帰順し、
当時のオスマン家のセリム1世(スレイマンの父)によりアルジェの代官としての地位を得たのでした。
ここに、アルジェ一帯を制圧していた海賊衆は形式的とは言えオスマン帝国の構成員となり、
オスマンの版図はエジプトに先がけて北アフリカに及ぶようになったのです。

こうなるとスペインと言えどもアルジェを単なる海賊の拠点と捉える事は出来ません。
しかもアルジェは当時のスペインの海の玄関口だったバレンシア・バルセロナの対岸にあたり、
ごく至近に海賊の、そしてオスマン帝国の前線基地を目にする事になってしまったのでした。
実際、1519年に再びアルジェに侵攻して来たスペイン艦隊はハイレディンにより撃退されており、
その勢力は日に日に侮りがたいものへと成長を遂げつつあったのです。

その後、セリムからスレイマン大帝の時代となり、ハイレディンの勢力は北アフリカのバルバリア海岸(アルジェ~チュニス沿岸)で最大の勢力を誇るに至り、1530年にはアルジェの城外に建設されていたスペインのベノン要塞を攻略、更にバレンシアを襲って当時まだ貴重な火器を多数奪うなど積極的に攻撃に出るまでになっていました。
こうした功績を喜んだスレイマンにより、ハイレディンはまずアルジェの首長に追認された他、
イェニチェリ軍団の一部を貸し与えられる待遇を得ます。
更に1533年夏、スレイマンに謁見した際にハイレディンはエーゲ海諸島の軍管区長兼トルコ海軍の提督の1人に抜擢され、併せて直ちにトルコ海軍の建造・育成・指揮を任されます。
これは、この当時のオスマン海軍の提督たちが続けて不甲斐ない成果しか上げていなかった事も側面としてありますが、海賊に対してこれほどの厚遇と責任ある地位に就けたあたり、ハイレディンを高く評価したスレイマンの方も流石に人を見る目があったのでしょうね。


ハイレディン_DOL  
1.超美化されたハイレディン


2.それから10数年後? 腹の出てきた実際のハイレディン
 (実際のハイレディンの髭は赤くない事に注目!)


(プレヴェザへの序曲)
そして翌1534年、
ハイレディンはイスタンブールの金角湾に建造したばかりの80余隻の大艦隊を浮かべ、
艦隊の慣熟を兼ねてエーゲ海を南下し始めます。
遂にオスマン帝国は強大な陸海軍に加え、更に優秀な指揮官を得る事になったのですね。

事実この年、出撃したオスマン艦隊はその後イタリア南部の諸都市を襲いまくり、スペイン海軍の基地メッシーナを横目に略奪・住民の拉致を繰り返した後、ついでにハフス朝の首都チュニスをも制圧する大戦果を挙げます。ただこのチュニス制圧、ここの太守ハッサン・ムラーグが救援と保護をカール5世に依頼した事から話が更に大きくなってしまうのですが・・・。

翌1535年、神聖ローマ皇帝カール5世は諸国・諸都市に命じてチュニス攻略の軍を起こします。
この時の遠征では皇帝カール自身が親征したほか、陸軍の司令官にはスペイン最高の将軍として知られていたアフォンソ・ダバロス、及び各国の王弟クラスの諸将、更に艦隊を率いるのがアンドレア・ドーリア、他にもイタリア諸都市や教皇庁、更に聖ヨハネ騎士団の艦隊も参加しての超豪華な編成でもってチュニスを攻略したのです。
ですがこの遠征、なぜかそのままハサンに攻略したチュニスの自治を許したほか、
肝心のハイレディンにも逃げられる不十分な成果で、更にその後の火種を残してしまいます。

事実、ハイレディンとその艦隊は攻略戦の途中の段階で脱出していたため、まだ30隻近くが温存されていました。そしてハイレディンはこの戦いの後チュニスから更に沿岸で海賊行為を続けた後、無事イスタンブールに帰還します。
帰還したハイレディンを迎えたスレイマン、これは寛大と言うかもう良く分かりません。
ここで遂にハイレディンに大提督の地位・つまり全トルコ海軍の司令官に任じる大抜擢のうえ、
再び海軍を建造する命を与えたのでした。

1536年以降、ハイレディンの手により再びトルコ海軍が増強されます。
最終的に大小130隻以上の艦隊を築き上げたハイレディン、
イタリア・チュニス・アルジェへの連絡上重要な海域へその手を伸ばし始めます。
そう、ギリシャ~クレタ島~イタリアを結ぶ線上にある海域、つまりイオニア海に。
しかしこの海域は同時にヴェネツィアの基地が点在する場所でも有りました。
当時のオスマンとヴェネツィアには通商条約などの密約があったとされ、
本来ならば攻撃対象にはならなかったでしょう。
それが、この当時ともなるとオスマンの勢力がイオニア海にも及んできた事もあり、
遂にそれが崩れる時が来ていました。

翌1537年の遠征で沿岸の拠点を攻略し莫大な財宝と2~3000人の住民を拉致したハイレディン、確かにロードス島・ネグロポンテ島・レスボス島を落としてエーゲ海~東地中海の制海権を握りつつあったオスマン帝国にとって、残る海上の脅威は当時の地中海で最大級の海軍力を誇っていたヴェネツィアだったでしょう。
特にギリシアの西岸プレヴェザの北にあるコルフ島はヴェネツィアが古来より要塞化していて、この海域に進出する際は真っ先に目標となる拠点となっていました。事実、ハイレディンも最初にこのコルフ島に手を付けようとしており、防備が固いことを悟ってこの年は周辺の略奪に専念した経緯があったのです。


(1538年・初夏)
そして1538年、この時点でハイレディンによる再度の遠征の狙いがこのコルフ島を含む海域であるとの情報がヨーロッパ諸国にも流れ、カール5世は今度は教皇をも動かしてキリスト教徒による連合艦隊が成立します。

まあ実際の所、事前の打合せで目標や指揮権を巡っての争いが起こるなどもめた末の対オスマン連合で、やや結束に不安はありましたが、ともかくスペイン・ジェノヴァ・教皇庁・ヨハネ騎士団に加えてヴェネツィア海軍にも召集を掛けてシチリア島北東部のメッシーナ港を経て最終的にコルフ島への集結が始まります。

こうしてオスマン艦隊の再襲来が確実視され、決戦の機運がイオニア海全域に流れる中、対するハイレディンもまた堂々とエーゲ海を南下し始めたのでした。



おしまい。


FC2ランキング02
 
↑最後にぽちっとよろしくです!

テーマ:大航海時代Online - ジャンル:オンラインゲーム

  1. 2009/09/28(月) 22:27:19|
  2. オスマン家の肖像
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<怪しい検証 | ホーム | タベラ博お疲れ様でした>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://hamilcar.blog64.fc2.com/tb.php/895-d5895739
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

このブログはリンクフリーです。

ハミルカル・バルカ/メルカルト

Author:ハミルカル・バルカ/メルカルト
サーバー:Eos
所属  :イスパ
商会  :たまごのしろ/世界の船窓から
Twitter :hamilcar_notos

FC2カウンター

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
オンラインゲーム
309位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
大航海時代オンライン
15位
アクセスランキングを見る>>

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

RSSリンクの表示

著作権について

大航海時代 Online』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、 株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。 このホームページに掲載している『大航海時代 Online』の画像は、 『大航海時代 Online』公式サイトにおいて使用許諾が明示されているもの、もしくは『大航海時代 Online』の有効なアカウントを所有しているユーザーが株式会社コーエーテクモゲームスから使用許諾を受けたものです。